山田 聡子のギャラリー凜(北名古屋市)

高階秀爾先生の講演会「西洋の美 日本の美」

6月15日、機会をいただき、大原美術館館長 高階秀爾先生の講演「西洋の美・日本の美 -言葉とイメージ-」を拝聴させていただきました。
高階先生は、西洋美術の専門家だと思っていましたが、日本の美術についても、それはそれは高い見識をお持ちの方だと思いました。とても楽しく、あっという間に過ぎた時間でした。

私は日本人の価値観は、自然やいろいろなものと調和することであると改めて思い、
日本人の素晴らしさを知り、嬉しく思いました。

以下、印象に残った内容を記しておきます。
例えば・・・
⑴感性の豊かな日本人。
日本古来の歌 「和歌」(やまとうた) は昔から今に至るまでみんなのもの。

日本では、ごく普通の平凡な人でも誰でも歌を詠み、新聞には「歌壇・俳壇」があるけれど、西洋では詩人というのは特別の神様から選ばれた特別な才能がある人で、一般の人は詩を作らない。みんなが歌を詠むというのは、西洋人にはとても驚きのこと。

そして、中国から到来した漢詩(唐歌からうた)が一般であった10世紀初頭に、国家的事業として初めて「やまとうた」による和歌を集めた勅撰和歌集である「古今和歌集」が作られて以来、同じ言葉が現在まで残っている日本。
西洋では、ローマ時代にラテン語の詩が多く作られているけれど、今、その言葉を読むことは難しく、伝統は既に途切れているそうです。
古今和歌集は、分類が自然の季節であるのに対し、西洋の詩集の分類は作家単位にされるのが通常だそうです。

⑵絵と文字の共作に見られる、教養高くユーモア精神がある日本人。

西洋では絵と文字は別ですが、日本では絵と文字が共作される文化。
例えば俵屋宗達が描いた金銀の絵の上に本阿弥光悦が書を書いた作品があります。
また、デザイン性を大切にして、「散らし書き」、「返し書き」という、言葉を右に書いたり左に書いたり、一部言葉の代わりに絵文字で描いたりする手法があり、歌を知っていなければどこから読んだらいいかわからず読めないような作品。
古の日本人はいかに教養が豊かであったことでしょう! さらに、言葉の代わりに絵で表す等、とてもユーモアたっぷりであると思いました。

日本はイメージの世界であるのに対し、西洋は理論の世界だそうです。

⑶自然と調和、周囲と調和する日本人。
自然に即した作庭、周囲と調和した街づくり。

西洋、例えばベルサイユ宮殿の庭の噴水は、下から上に水が噴き出すように人間が造ったもの。
日本の庭には自然が再現される。例えば、滝は水が自然のままに上から下に流れる。

西洋の絵葉書や写真は、エッフェル塔とか建物をそのまま撮影しているものが多いが、日本の名所の絵葉書や写真は、桜の姫路城、雪の金閣寺、というように自然との結びつきが大きく、「状況の美」を大事にする。

京都の街づくりは中国の真似であるけれど、真似しなかったのは、中国は西洋と同様、街を城壁で囲むが、京都は城壁を造らなかったこと。 

ふと思えば、京都御所も堀でめぐらされてはいません。日本は壁を作らない文化だと思いました。

などなど・・・
ここには書ききれませんが、伊勢神宮とギリシアのパルテノン神殿の比較など、どれも大変興味深いお話でした。

ご興味のある方は、高橋秀爾先生著の「日本人にとって美しさとは何か」をご覧ください。

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