山田 聡子のギャラリー凜(北名古屋市)

カラヴァッジョ展(6月12日迄)

日伊国交樹立150周年を記念して、今、東京ではいくつかの素晴らしい展覧会が開催されています。
今回鑑賞したカラヴァッジョ展(国立西洋美術館 6月12日(日)迄) もその一つです。
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ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610 年)。

光と影の劇的なコントラストによって人物、静物がくっきりと浮かび上がる作品に魅せられ、私は大好きです!

イタリアが誇る天才画家で、その劇的で写実的な絵画様式が、バロック美術(バロック絵画は1600年ごろから18世紀初頭。劇的な描写技法、豊かで深い色彩、強い明暗法が特徴)の幕開けになったという点で、西洋美術史上もっとも大きな変革を成し遂げた巨匠だと言われます。

カラヴァッジョが登場した時代は、宗教美術が偶像とみなされて破壊された16世紀の宗教改革を経て、カトリック改革が起きた時。カトリック改革では信者の信仰心を高める目的で、大衆的なわかりやすい美術が求められたと言います。ローマの美術が発展した時代で、写実的でわかりやすい表現が重視された時代でした。

そんな時代にミラノで生まれたカラヴァッジョ。 本当の名前は、ミケランジェロ・メリージです。
カラヴァッジョと通称されるのは、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ、つまり、「カラヴァッジョのミケランジェロ・メリージ」という呼ばれ方が短縮されたものではないでしょうか。(ダは英語のofに相当するイタリア語だと思うからです。)

お父さんがカラヴァッジョ侯爵に使える執事で、ミラノ近郊のカラヴァッジョという町に土地財産を持っていて、
1577年カラバッジョが6歳の時にペストの流行で父親が亡くなった為、カラヴァッジョという町に移り住んだと言います。

その町は、15世紀に一人の農婦の前に聖母が現れて泉が湧くという奇跡が生まれた「カラヴァッジョの聖母」として巡礼地だったそうです。

そうした土地で育ったミケランジェロが、カラヴァッジョという名前で天才的な画家として有名になったというのもなにか歴史風土的因縁を感じざるを得ない気が私はして、大変興味を持ちます。

カラヴァッジョは、ローマでデビューし、大評判となって、教会の祭壇画、壁画の注文や富裕層の個人からも注文が殺到。

天才画家である一方、作品が出来上がると従者を連れて盛り場で放蕩し、暴行傷害や武器不法所持等でつかまり、出入獄を繰り返したという きわめて異色な画家です。
そして、ついには対立するグループの一人を殺し、殺人犯としてローマから南イタリア、ナポリ、マルタ、シチリアへ逃亡。 彼のファンの枢機卿たちが恩赦獲得の運動をするも、 最後には逃亡先で熱病で倒れたといいます。

そして、カラヴァッジョの画法はイタリアはもちろんヨーロッパ各地の画家たちに継承され、カラヴァジズムという一大芸術運動が起こり、レンブラントを含む数多くの画家たちに大きな影響を与えたそうです。

私が一番好きな作品は、「法悦のマグダラのマリア」

死ぬ直前まで自身が携えていた作品だそうです。

「カラヴァッジョの聖母」がいたとして有名な巡礼の町で育ち、カラヴァッジョという名で画家として活躍した彼が「法悦(神の道を聴き喜びに浸るという意味)のマグダラのマリア」を大事にしていたというのも相応しいと思います。

真っ黒の背景に浮かび上がる聖女の顔、リアルな表情、皮膚感、白っぽい衣服に赤い布。 黒と赤と白(ベージュ)というシンプルな色彩で聖女の内面が浮かび上がっていると思います。
実に美しいと思います。

私の個人的な感想では、今、東京の各美術館で開催中の西洋画の展覧会の中でも、もっとも内容が充実した貴重な展覧会の一つだと思いました。

「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい カラヴァッジョ」 宮下規久郎著、株式会社東京美術は、
カラヴァッジョのことが解りやすい本です。

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