美濃焼の里を訪ねて(1)
陶磁器の生産量が日本一という岐阜県の美濃焼。
その歴史は、窯を築いて焼かれた7世紀飛鳥時代の「須恵器」に始まり、平安時代初期(9世紀)に愛知県の猿投窯から伝わった、灰釉を施した高火度焼成の白瓷(しらし)が生まれ、鎌倉時代には庶民の間で無釉の山茶碗が普及、15世紀頃の室町時代には瀬戸から職人が移り住み「古瀬戸」ができたそうです。戦国時代、茶の湯の流行とともに、黄瀬戸、瀬戸黒、志野などが生まれ、さらに武士であると同時に茶人でもあった古田織部により織部が誕生しました。このように様々な技法が創造され、美濃地方は一大窯業生産地、陶磁器のメッカとなったようです。
私が住む愛知県から車で一時間余りにも関わらず、今まで訪問する機会が無かった美濃焼の窯元を今回訪れました。
山里の集落の中を川(土岐川)が流れているのは少し愛媛県、砥部焼の里の砥部と似ていると思いました。
楽しいのは、あちこちにいるユーモラスな河童の焼き物です。
志野を見せてもらいに訪問した林健人さんの荘山窯さんで目を見張ったのは、大きな窯が二個でーんと鎮座する姿。
さすが、量産する地域だなあと感心しました。
砥部焼の窯元さん達は家内工業がほとんどですから、こんな大きな窯は見たことがありません。
工房も、もちろんそれぞれだと思いますが、砥部に比べるととても規模が大きいです。
美濃では問屋さんが沢山あり、窯元で制作された陶磁器はみんな問屋さんに卸すのだそうです。たくさん器を作っているから、販売は全部問屋さんにお任せだそうです。
窯元を離れた器は、どんな経路を経てお客様のもとに渡るのか、それは窯元にはわかりません。
窯元を出て問屋さんに渡り、旅をする器。
私達が店頭やネットショップで目にする器との出会いもご縁であり、一期一会の世界ですね。