山田 聡子のギャラリー凜(北名古屋市)

砥部焼について

砥部焼の特徴

砥部町には、中央構造線という断層が走っていて、数千万年前の地殻運動を証明する砥部衝上断層があります。
一般的に、日本列島を走る中央構造線の南側には陶石鉱床が分布しており、その近くには砥部以外にも、伊万里や有田など陶磁器生産地や温泉が多くあります。

 

砥部焼の制作現場は家内制手工業です。
その大きな特徴は、「手作り」、「手描き」、全ての行程に 今でも手仕事が残っていることです。
出来上がる器は、自然と手に馴染み使い勝手が良いです。

 

石英、長石、カオリンといった磁器作りに不可欠な成分を含む陶石。
陶石は砥部町内で採掘されています。

 

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もともと砥石クズで作られた砥部焼。

 

原料の石は、中砥と言われる砥石にも適した石だと言われます。

 

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昔の面影を残す水車

 

 昔ながらの製法で陶石を砕いて陶土を作る土工場。杵で衝いて砕きます。純度が高く、粘性が高い土が出来上がるから、とても使い易いです。砥部焼の大変貴重な原料となっています。

 

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砥部焼の歴史

 

自然の恵み生かして作られている砥部焼は、地元の外山で産する砥石屑を砕いて、江戸時代1777年に創業されました。

 

外山の砥石屑とその後に発見された川登陶石、上尾陶石を中心に、明治八年(一八七五)白潟秀三郎(八洲彦曾祖父)に発見された万年陶石も入れて作られています。

 

以降、砥部焼は「伊予ボール」の名で輸出され、向井和平が製作した「淡黄磁」が、明治26年にシカゴ博覧会で1等賞を受賞して、世界に知られるようになりました。

 

その後、大正末期から昭和初期にかけて、不況で生産が落ち込み、全国の大きな焼き物産地が新しい技術を導入した時、砥部は資金不足から近代化の波から取り残されたようにみえたのですが、戦後、民芸運動の推進者柳宗悦、バーナード・リーチ、浜田庄司らによって、機械化されている他の産地に比べ、手仕事の技術が残っていることを高く評価されました。

 

昭和51年、砥部焼は「伝統的工芸品産地」として指定を受けました。

 

1777年(安永6年) 大洲藩の命で杉野丈助が砥部焼磁器焼成に成功する
1818年(文政元年) 向井源治が川登陶石を発見する。良質で豊富な原料供給が可能になる
1875年(明治8年) 白潟秀三郎が万年陶石を発見する
1888年(明治21年) 「下浮穴伊予両郡陶磁業同業組合」(現組合の前身)設立
1893年(明治26年) シカゴ世界博覧会に砥部焼の淡黄磁(作品)を出品し、一等賞に輝く
1976年(昭和51年) 砥部焼が国の伝統的工芸品の指定を受ける
1995年(平成7年) 砥部焼地球儀「生命の碧い星」をジュネーブの国連欧州本部に寄贈する
2005年(平成17年) 愛媛県指定無形文化財に砥部焼が指定され、その保持者として酒井芳人氏が認定される

 

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