十二代 藤林 徳扇について

12代藤林徳扇のお人柄はとても良かったそうです。

平安時代のお公家さんみたい、と言われており、
女性のファンは大勢いらっしゃいました。

職人には厳しいけれども、悪口を言われることは一切ない、
まわりに与えるタイプの人でした

それでいて商売人気質。
行動は素早く、目を離したら東京に行っている、なんてこともザラ。
どこから聞きつけたのかわからない情報網もあり、
交流の幅もとても広い人でした。

「目先は10年でも遅い。
50年、100年先のものづくりをせなあかん!」
と常々に力強く仰っていたというお話しもあります。

「誰にも真似できない作品をつくるんや。」
12代藤林徳扇の作品には、そんな情熱が詰まっています。

優雅

“琳派の祖”として知られる本阿弥光悦が開設した「光悦村」(現在の京都・鷹ヶ峰光悦町)のすぐ近くに位置する鷹ケ峰藤林町。琳派が発生したこの地で生まれ育った十二代藤林徳扇は、琳派を継承しつつ、琳派の枠にとどまらない独自の世界を極めるため、当時の王朝趣味に代表される優美さや高尚さを兼ね備えた帯、着物を創作してきました。

「プラチナ糸」は
しっとりとした
柔らかさを生地にもたせ
きれいなドレープがでる

プラチナ糸

徳扇さんはインパール作戦に出兵され、絞首台に上がるところで終戦布告があり生きて帰国したことが、作品作りの原点です。日本は戦争では負けたけど、技術では負けないと言う自負です。そんな徳扇さんが作られた技術が「プラチナ糸」を編み込まれた反物です。しっとりとした柔らかさを生地にもたせ、しわになりにくく、きれいなドレープがでる素晴らしい着物になります。