十二代 藤林 徳扇
~作品に込められた想いと生涯~

徳扇の生涯

50年先、100年先、自分が生きていない時まで観すえて
作品を創作して行かなければ決して良いものができない。
そうした活動が源となり、それが原動力となり
若さの秘訣であり、作家の使命だと思う。

だから、私は生涯現役の作家でありたいと願う。

今流行るものを創作しているのではダメ。
目先の時代を追うのではなく、そこに真の実力を持って
自分で常に勉強して新たに作品を生み出していかねばならない。

そして、諦めずに自身にしかできないモノづくりを追求していかないと、
最後まで後世に残る作家として生き残っていくことはできない。

十二代 藤林徳扇

十二代 藤林徳扇の生涯 ~300有余年の継承~

延宝8年(西暦1680年)より京都市北区鷹ヶ峰にある旧藤林町(現・鷹峯藤林町)にて、藤林家が薬草園の土地を賜り、薬草から染色を始め、旧御所に納める錦の御旗を製造する織匠として創業以来、300有余年、伝統とともに代々名を継承。

大正9年(西暦1920年)生まれ。平成25年(西暦2013年)逝去。

“琳派の祖”として知られる本阿弥光悦が開設した「光悦村」(現在の京都・鷹ヶ峰光悦町)のすぐ近くに位置する鷹ケ峰藤林町。琳派が発生したこの地で生まれ育った十二代藤林徳扇は、琳派を継承しつつ、琳派の枠にとどまらない独自の世界を極めるため、当時の王朝趣味に代表される優美さや高尚さを兼ね備えた帯、着物を創作し、さらに“徳扇コスモ・ アート”と称賛される絵画を発表しました。

徳扇の「世界平和」への願い

デザイン・コンセプトは「世界平和への祈願」である十二代藤林徳扇の作品の数々。それには太平洋戦争という体験が背景にあります。
インパール作戦に従軍した徳扇さんは絞首刑になるギリギリのところから九死に一生を得て帰国しました。徳扇さんが乗った船は広島の港に帰ってきたそうです。その時に原爆が落下した広島の焼け野原を見て大きなショックを受けられました。しかし家のある京都に帰ったら、京都はみんな平穏無事に暮らしていました。そんな徳扇さんは今の日本があるのは広島と長崎の犠牲の上でだと、常々言われていたそうです。それで広島と長崎に平和の女神を収めることを決意されたそうです。

平和の女神

地球規模で美の文化を追求し、年月を経てなお輝く国際レベルを意識した創作で、世界各国へ日本の伝統美をアピールし、世界の著名人から高い評価を受け、芸術界のノーベル賞と表現されるユネスコ・パリ 本部認定のユネスコ・グリーティングカード・アーティストとして連続して選出されるなど、晩年の十二代藤林徳扇は世界への発信を主眼に置いて、海外の著名人との交流を活動の中心とし、世界のトップアーティストとして活躍しました。

ヴァチカン市国サンピエトロ寺院にて ローマ法王謁見「弥勒菩薩像」収蔵

ヴァチカン市国サンピエトロ寺院にて
ローマ法王謁見「弥勒菩薩像」収蔵

ユネスコ・パリ本部認定 ユネスコ・グリーティング カード・デザイン

ユネスコ・パリ本部認定 ユネスコ・グリーティング カード・デザイン

徳扇語録

「50年先、100年先、自分が生きていない時まで観すえて作品を創作して行かなければ決して良いものができない。そうした活動が源となり、それが原動力となり若さの秘訣であり、作家の使命だと思う。だから、私は生涯現役の作家でありたいと願う。
今流行るものを創作しているのではダメ。目先の時代を追うのではなく、そこに真の実力を持って自分で常に勉強して新たに作品を生み出していかねばならない。そして、諦めずに自身にしかできないモノづくりを追求していかないと、最後まで後世に残る作家として生き残っていくことはできない。」

「絵は自分だけではなく、皆で共有して観て、感じて楽しむもの。身近にずっと飾ってあるから、子供からお年寄りまで皆が観て、感じて楽しめる。小さなころから美しいもの、綺麗なものを見ていると心豊かなやさしい素直な人間に育つと思う。」美を愛した十二代藤林徳扇のことばです。

独自の特殊技法を開発

創作理念は「優雅」「格調」「貴品」。
生地やキャンバスには、時が経っても変色のない本金糸や本 プラチナ糸を使用。また五大宝石をパウダー状にした上で絵の具化し、 様々な独自の特殊技法でコスモアートや着物を創作。最先端の新素材や新技術を取り入れて実現した染・織・繍・箔の総合芸術です。

十二代藤林徳扇の技術の原点

帯師だった徳扇が西陣苑寿織などの技術を高めた理由のひとつに「織は真似ができる。真似ができない織を作らなければならない」との強い考えがあって独自の技術を探求していきました。そして徳扇はあるとき思いつきます。金糸や銀糸を刺繍として使ってきたけれども、他のことはできないだろうか。
「着物に貴金属を織り込んだものをつくってみよう」こうして開発されたのが「プラチナ糸」を編み込まれた反物です。しっとりとした柔らかさを生地にもたせ、しわになりにくく、きれいなドレープがでる素晴らしい着物になります。
十二代 藤林徳扇の着物の特徴はなんといってもその豪奢さにあります。そんな技術を使う機会はほとんどなく、現在では作ることも難しくなりました。とても貴重な反物でつくったお着物は子や孫に受け継ぐ価値のある一品です。

十二代 藤林徳扇 受賞歴・寄付作品等

十二代 藤林徳扇 略歴

• 旧御所機匠
• 西陣苑寿織創設者
• 紺綬褒章受賞
• 黄綬褒章受賞
• 伊勢神宮奉納
• 京都御苑装飾
• 鳥羽 戸田家嬉春亭 特別貴賓室室内装飾
• 京都迎賓館作品寄贈
• 国際平和芸術文化特別大賞受賞
• 国際アカデミー賞受賞
• ヴァチカン市国ローマ法王謁見・寄贈
• 日英・日仏・日米親善大使として数回渡航
• ダイアナ妃生家オルソープ城寄贈

世界各国への作品寄贈

• 1984年 金剛峯寺慶和 高野山 奉納
• 1987年 馬頭観音像 シアトル博物館 及び ポートランド市寄贈(アメリカ)
• 1988年 弥勒菩薩像 大韓民国国立博物館寄贈
• 1989年 馬頭観音像 北京国立博物館寄贈(大連国立博物館収蔵)
• 1989年 弥勒菩薩像 トルコ文化省寄贈
• 1989年 弥勒菩薩像 北九州市立美術館寄贈
• 1991年 馬頭観音像 ウエリントン国立博物館寄贈(ニュージーランド)
• 1992年 馬頭観音像 オークランド国立博物館寄贈(ニュージーランド)
• 1992年 月に菊 バルセロナ国立美術館寄贈(スペイン)
   バルセロナオリンピック開催記念作品
• 1992年 弥勒菩薩像 クレムリン連邦美術館寄贈
• 1992年 緞帳 散手と貴徳 京都御所
• 1993年 緞帳 散手と貴徳 伊勢神宮
• 1994年 輝 ルーマニア国立美術館寄贈(ルーマニア)
• 1994年 鶴寿の舞 パリ市立近代美術館寄贈(フランス)
• 1994年 千代の双鶴 関西国際空港貴賓室 寄贈
• 1994年 弥勒菩薩像 ヴァチカン市国・サンピエトロ寺院寄贈
• 1995年 弥勒菩薩像 広島県立美術館寄贈
• 1997年 弥勒菩薩像 長崎原爆資料館寄贈
• 1998年 雪中五輪乃慶鶴 ローザンヌ国際オリンピック美術館寄贈(スイス)
   長野オリンピック開催記念作品
• 1998年 鶴寿乃舞 ギメ国立美術館寄贈(フランス)
• 2000年 霊峰双鶴之図 ハンガリー国立美術館寄贈
• 2000年 櫻華霊峰之図 ブルガリア国立美術館寄贈
• 2003年 吉兆五輪乃舞 セルビア・モンテネグロ国立博物館寄贈
• 2003年 雪中五輪乃慶鶴 京都迎賓館 寄贈
• 2003年 五輪乃慶鶴 松本市立博物館 寄贈
• 2003年 櫻華之図 アテネ・ベナキ博物館寄贈(ギリシャ)
   アテネオリンピック開催記念作品
• 2003年 鶴寿乃舞 アテネ。ミュージックホール寄贈(ギリシャ)
• 2005年 千代の双鶴 ムンバイ国立美物館寄贈(インド)
• 2005年 五輪乃慶鶴 京都和風迎賓館寄贈
• 2007年 黎明慶和乃図 中国国立博物館寄贈
   北京オリンピック開催記念作品
• 2011年  地袋襖絵 瑞兆の図 京都 大徳寺塔頭 養徳院奉納

他、公開、非公開を含め世界の数十カ国の国公立博物館・美術館に作品を寄贈されていらっしゃいます。
それは、日本の伝統美と日本人の匠の技を世界にアピールしたいという思いと、世界中の人々が美しいものを見、清らかな心で平和に暮らしてほしいとの徳扇さんの願いです。

十二代藤林徳扇 作品リスト

大徳寺養徳院 襖絵「瑞兆の図」大徳寺養徳院への奉納記事 (画像をクリックすると拡大します) 読売新聞(H23.2.8) 京都新聞(H23.2.8) 産経新聞(H23.2.8) 中外日報(H23.2.10)コスモアート慶兆寿鶴10号サ...

十二代藤林徳扇 国内外での評価

琳派の枠を超えたTOKUSEN RIMPA~ 美術史学者 河野 元昭 先生からいただいたお言葉 ~日本の美術は群青、緑青といった美しい鉱石の素材を使うが、十二代藤林徳扇もまた宝石という美しい天然の貴石を用...