砥部焼の歴史

白潟八洲彦が制作する砥部焼は、伝統工芸品の一つです。こちらでは、砥部焼の歴史についてご紹介します。

砥部焼の発祥地

砥部焼の発祥地

砥部焼の発祥地である伊予郡砥部町は、山に囲まれた傾斜地の町です。砥部の盆地は山裾の傾斜が窯の立地に適しており、焼き物に適した陶土や周囲の山々から燃料となる木材が入手できたことから、古くから焼き物作りに最適な土地でした。

実際に、6~7世紀頃のものとされる須恵器の窯跡がいくつも残っています。

江戸時代

今でこそ磁器である砥部焼ですが、実は江戸時代の半ばまでは陶器が作られていました。江戸時代は伊予砥(砥石)の生産も盛んだった一方、砥石の切出しの際に出る砥石屑の処理は大変な重労働でした。

当時、厳しい財政状況下にあった大洲藩は、新たな産業で国起こしをしようと考え、今まで悩みの種だった伊予砥の屑を利用した磁器の開発を始めたのです。試焼・本焼を繰り返す中、地肌にヒビが入ってしまう問題に直面するなど様々な困難がありましたが、釉薬原料の不良が失敗の原因と知り、新しい釉薬を試した結果、ついに白磁の焼成に成功したのです。

白磁器成功後の砥部焼

白磁器成功後の砥部焼

絶え間なく技術が改良されていく中、明治以降砥部焼は「伊予ボール」の名で輸出されるようになり、海外でも注目され始めます。1893年(明治26年)シカゴ世界博覧会で砥部焼の淡黄磁が出品され一等賞に輝きました。

戦争の関係で一時期は生産・販売が落ち込んだものの、戦後は手作りの良さが改めて評価されたことで、ろくろや絵付けなどの技術向上はもちろん、近代的デザインへの後押しも多く行われました。昭和28年には民芸運動の指導者、柳宗悦、浜田庄司が陶芸指導をしました。

砥部焼はその後、陶器の世界では全国6番目に「伝統的工芸品産地」として指定され、今日までその技術や技法が受け継がれています。現代では若手陶工や女性の手による斬新な作品も多く出ており、暮らしの中の器として定着しています。

長い歴史の中、時代と共に変化を遂げてきた砥部焼は、今もなお多くの人々に親しまれています。砥部焼を間近で楽しめる展示をお探しの際は、ギャラリー凜の展覧会へ足をお運びください。古くから伝わる日本の伝統工芸品の魅力をご紹介している他、通販で伝統工芸品の提供も行っています。直接足を運ぶことが難しい場合は、通販もご利用ください。